高峰譲吉博士研究会

高峰博士ゆかりの地・人

10)ゆかりの人‥‥櫻井錠二

同郷の友人。理化学研究所の創設に貢献


桜井錠二 櫻井錠二は、1858(安政5)年、加賀藩士の櫻井甚太郎と八百の六男・錠五郎として誕生しました。高峰博士誕生の4年後のことです。
 錠五郎が5歳の時に父が病没し、一家は経済的な苦境に陥りましたが、母・八百は苦労しつつも、子供たちには十分な教育を受けさせました。
 錠五郎は1869(明治2)年に藩立の英学校、致遠館に入学し、さらに推挙されて七尾語学所でパーシヴァル・オズボーンから英語を学びました。これは高峰譲吉がオズボーンから英語を学んだ時期とほぼ同一で、元々同郷でもあることから、櫻井は高峰博士と七尾語学所で共に学んだ学友であると思われます。
 翌年、既に上京していた兄を頼って母とともに上京し、大学南校(後の東京大学)に見事合格します。4年目からの本科では化学を専攻し、お雇い外国人のロバート・アトキンソンに師事しました。
 さらに1876〜81(明治9〜14)年にはロンドン大学へ国費留学し、有機化学の大家であるAlexander(アレキサンダー) W. Williamson(ウィリアムソン)に師事しました。
 錠五郎から錠二に改名したのはこの時で、欧米人向けに分かりやすい名前(Georgeとほぼ同じ発音)を選択したのでした。

 1881(明治14)年に帰国し、アトキンソンの後任として東京大学理学部講師となりましたが、翌年、教授となっています。
 1883(明治16)年、櫻井譲二は東京化学会の会長となりましたが、後年、高峰譲吉も東京化学会の定議員となっていますし、高峰博士の助手となってアドレナリンの結晶化に貢献した上中啓三の師・長井長義は会長を、そして医薬品タカジアスターゼの開発に貢献した清水鐵吉は書記を務めていました。
 数年のズレこそあるものの、ここでも櫻井と高峰は繋がっていたのだという思いを新たにしました。


理化学研究所

 1913(大正2)年、櫻井にとって一つの転機が訪れました。
 同年、米国から一時帰国していた高峰譲吉博士(工学博士・薬学博士)が、築地精養軒で「国民的化学研究所」設立の必要性を提唱する演説を行なったことです。 > 関連記事
 この提案にいち早く賛同したのが、財界の重鎮である渋沢栄一と、櫻井錠二でした。1914年(大正3年)、実業界の大御所渋沢栄一と池田菊苗、鈴木梅太郎ら化学、応用化学、農芸化学、薬学界の長老が連名で議会に化学研究所設立の請願書を提出しました。しかしこの請願は、議会の解散もあって目的を達成することはできませんでした。
 1914年6月に第1次世界大戦が勃発すると、わが国は西欧からの医薬品や工業原料の輸入が絶たれ、また制限されたりしたことから、産業上、多大な障害を来すこととなりました。そこで、農商務省は化学研究所設立を農商務大臣に建議しましたが、ただ化学だけでは範囲が狭すぎるため、化学と物理学の両面を包含した「理化学研究所」を設立すべきとの意見が出されました。
 櫻井錠二、長井長義、渋沢栄一らが特別委員となって設立計画を練り上げ、更に政府の補助も取り付けました。これを受けて、創立委員長に渋沢栄一、常務委員に桜井錠二、団琢磨、中野武営ら7名が就き、準備が進められました。
 そして1917(大正6)年3月20日、研究者と政・財・学・官界などが一体となった「財団法人・理化学研究所」が設立されたのです。櫻井は初代副所長となりました。


余談/イギリス留学、池田菊苗そして夏目漱石

 櫻井錠二博士の東大での門下生、池田菊苗博士は、「味の素」の発見者としても知られていますが、池田がライプチッヒ大学での留学を終え、ロンドン滞在中に夏目漱石と知己を得て友人となり、一時下宿を同じくしていた時期もあったということは、あまり知られていないようです。
 漱石は1900(明治33)年から2年間のイギリス留学中における池田との邂逅が、自分にとって重要な転機となったと後に語っています。化学者が文学者に影響を与えた希有な例ではないでしょうか。
 早稲田大学社会科学部教授・物理学者の小山慶太氏の著作「ロンドンの漱石と二人の化学者」によりますと、櫻井錠二の兄・房記が、留学前に夏目漱石が勤務していた熊本五高の校長をしていたことや、櫻井錠二の義妹が池田の妻であったこと、さらに池田と夏目漱石が邂逅した時期に、櫻井自身もロンドンに滞在しており、池田と会っていたことなどが、池田と夏目漱石を結びつけたのではないかとされています。
 もう一つ面白いのは、後年(1905年)夏目漱石が表した小説「吾輩ハ猫デアル」の中に、三共商店から発売(1899年)されていたタカヂヤスターゼが登場することです。
 流石に夏目漱石と高峰博士との繋がりはないと思われますが、池田菊苗、櫻井錠二との縁を思うと、不思議なご縁を感じざるを得ません。


(記事作成:平成26年5月26日/文責:事務局)