寄 稿
掲載内容(Index)

> 22) たかしん高峰記念館がオープンしました!
高岡信用金庫理事長 在田 長生
2017年12月1日、高岡市御馬出町にある高岡信用金庫別館の1Fに「たかしん高峰記念館」がオープンしました…
(2018.3.16)

> 21) 黒部川開発100周年と先人の顕彰
宇奈月温泉自治振興会会長 河田 稔
世界文化遺産登録の諮問にかかわる「国際記念物遺産会議(イコモス)」の国内委員会は、後世に残したい「日本の20世紀遺産20選」を発表した…
(2018.2.20)

> 20) 高峰譲吉博士とシカゴ領事館
石田・三門
タカジアスターゼの発見、アドレナリンの結晶化を成し遂げ世界的な名声を手に入れた高峰譲吉博士ですが…
(2017.1.27)

> 19) 高峰博士の民間外交
石田・三門
1904(明治37)年2月8日、旅順港攻撃によって日露戦争が始まり、米国の世論は日本とロシアの戦争について…
(2016.11.25)

> 18) Takadiastase, Adrenaline, Epinephrine の語源考
國方栄二(西洋古典学)
アドレナリン、エピネフリンの命名に関しては難しい問題はない。前者はラテン語系、後者はギリシア語系の語形成に…
(2016.1.15)

> 17) 大横綱常陸山と高峰譲吉博士
石田・三門
北里博士は高峰博士より1歳年上の同時代人であり、‥‥ その北里博士は、横綱常陸山の熱烈な後援者でした…
(2015.11.13)

> 16) 高峰夫妻の一人の孫が逝去
石田 三雄/当NPO法人 理事長
先日、当研究会副理事長・滝富夫氏へ、米国のラトガース大学…
(2015.7.29)

> 15)「ひとの心に寄り添った高峰さん」
石田・三門
高峰博士の、発明家や研究者としてではない一面を垣間見る…
(2015.7.10)

> 14)長州ファイヴの一人・山尾庸三
石田 三雄/当NPO法人 理事
高峰譲吉の世界への道を切り拓いていた先輩…
(2015.4.27)

> 13)高峰譲吉の人造肥料会社起業の原点とその周辺
久間 一剛(きゅうま かずたけ)/京都大学名誉教授
高峰譲吉は1879(明治12)年に工部大学校を卒業し、その翌年には政府派遣留学生としてイギリスへ渡り、グラスゴーの大学で…
(2014.12.17)

> 12)高峰譲吉の留学志望と佐野鼎
松田 章一(元・金沢ふるさと偉人館 館長)/当NPO法人 理事
佐野鼎は1829年・文政12年、現静岡県富士市の郷土の家に生まれた。江戸に出てオランダ式砲術家下曽根金三郎塾に入り…
(2014.12.5)

> 11)高峰譲吉につながる人々
石田 三雄/当NPO法人 理事
視聴率の高いNHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」では、女学校で安東はなさんを取り巻く個性的な先生方、先輩、クラスメートが登場する…
(2014.9.26)

> 10)フルベッキ一族と日本 (2)
石田 三雄/当NPO法人 理事
前号(その1)で、フルベッキの長男ウィリアム(愛称ウィリー)が、長崎において、感受性の豊かな青年時代の彼の友達の武士の息子達からごく自然に武士道、礼儀などが身に着く…
(2014.9.9)

> 9)フルベッキ一族と日本 (1)
石田 三雄/当NPO法人 理事
明治の近代日本建設に大きな役割を果たし、今も夫人とともに東京の青山霊園に眠る異色の教師・宣教師フルベッキ(Guido Hermann Fridolin Verbeck、米国ではヴァーベック)については…
(2014.8.18)


> 8)高峰譲吉をめぐる逸話(その3)
石田 三雄/当NPO法人 理事
1.「日本政府の要請に応じていた晩年の高峰さん」 他
(前略)… 1909(明治42)年に開催された国際学会に出席して貰いたいという日本政府からの要請を受けて、ロンドンに赴いていることを知った…
(2014.10.20)

> 7)高峰譲吉をめぐる逸話(その2)
石田 三雄/当NPO法人 理事
1.日米の牛肉の味くらべをした益田孝と高峰譲吉 他
(前略)… 高峰譲吉が米国ニューオーリンズの産業万博への日本の展示(世界にアピールする具体的な情報と品物)に関する3人の政府派遣員のリーダーとして…
(2014.7.14)

> 6)高峰譲吉をめぐる逸話(その1)
石田 三雄/当NPO法人 理事
1.「べろべろに酔っぱらった高峰さん」 他
(前略)… 国会図書館で入手したこの新聞記事のコピーを帰宅の車中で読み終えて、ふと左下隅の『青鉛筆』というコラム(1916年から、現在も続く)に気付いた。その記事は短いので、全文を現代文にして転載する…
(2014.6.16)

> 5)高峰譲吉博士による理化学研究所の創設理念
石田 三雄/当NPO法人 理事
100年前に国民的化学研究所設立を提言した高峰譲吉博士
理化学研究所の創設は、1913年、高峰譲吉博士によって提唱された。その全文の現代語訳を以下に掲載するので、是非、全文お読みいただく事を切望したい。…
(2014.4.8)

> 4)タカジアスターゼの原点
石田 三雄/当NPO法人 理事
2013年5月にHarvard University Pressから発行された『Adrenaline』の著者Harvard大学医学部教授B. B. Hoffman博士にメールで自己紹介をして以来、自然に「メル友」として情報交換が始まり… (2013.11.29)

> 3)「松楓殿」今昔
滝 富夫/当NPO法人 副理事長
「これ、何とかならないでしょうか」
数年前のある日、ニューヨークの私のオフィスに、池田修臣氏が飛び込みで訪ねてきた。氏はこちらに長く住んでいて、国連本部ピル内の日本式石庭「平和の鐘庭園」建設にも…
(2010.6.11)

> 2)バイオテクノロジーの父、高峰譲吉
山本 綽(ゆたか)/当NPO法人 理事長
高峰譲吉の墓はニューヨークのブロンクスにあるウッドローン墓地にある。広大で有名な墓地であるがその案内書に寄れば「科学・発明」の分野でここに眠っているのはたった4人である…
(2010.5.14)

> 1)随 想 〜 高峰譲吉先生に思うこと 〜
山本 綽(ゆたか)/当NPO法人 理事長
高峰譲吉先生の墓所はニューヨーク・ブロンクスのウッドローン墓地である。墓地の案内には、「近代バイオテクノロジーの父」として紹介されている。このことを知っている日本人は殆どいない… (2010.5.14)


