高峰譲吉博士研究会

お知らせ

豊田自働織布工場100周年特別展「トヨタグループの源流 −この地から−」

産業技術記念館(名古屋市西区栄生(さこう) )/ 2011年9月17日(土)〜12月4日(日)



外観

豊田佐吉と高峰譲吉博士

 名古屋市西区にあるトヨタテクノミュージアム「産業技術記念館」から、展示のための高峰博士の写真の提供を依頼されたのがご縁で、この度豊田自働織布工場100周年特別展「トヨタグループの源流 −この地から−」を取材させていただく事ができました。

表札 当サイトの「高峰博士の略歴」年表に、1910 (明治43)年/豊田式自動織機の事業化で挫折した豊田佐吉を叱咤激励、とあるように、豊田佐吉は失意の中、アメリカへ旅発ちました。それは移住も視野に入れた旅立ちだったそうです。
 そして旅の途中高峰博士を訪問し、「発明家たるものは、その発明が実用化されて社会的に有用な成果が得られるまでは決して発明品から離れてはならない、それが発明家の責任である」と励まされます。「発明品は自ら製作に従事して十分に試験を重ねなければ完成しない」との教訓を得ていた佐吉だけに、高峰博士の激励は心に沁みた事でしょう。
 アメリカの織布工場を見学し、自分の発明した自動織機が決して劣っていない事を確信した佐吉は、日本へ帰り、自らの夢を実現させたのです。

 事務局は10月14日に記念館に伺い、学芸員の木村さんから記念館内を案内していただき、さらに学芸企画担当の武藤さんからもお話を伺う事が出来ました。その時の取材内容とお話のポイントを、ここにまとめてみました。12月4日まで開催されておりますので、明治の時代に活躍した発明家と、トヨタグループ100年の歩みに興味のある方は、是非ご覧いただきたいと思います。

> トヨタテクノミュージアム「産業技術記念館」

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発明の志 〜 動力織機の発明

 1867(慶応)年、豊田佐吉は遠江国敷知郡吉津村山口(現・静岡県湖西市)に生まれました。『私利私欲を戒め、経済と道徳の融和を重んじる』という報徳思想を生活信条とした父の影響を受けて、佐吉は国家社会への奉仕を志します。
 やがて専売特許条例の公布を知った佐吉は発明を目指し、1890(明治23)年、ついに最初の発明となる「木製人力織機」を完成させ、さらには1896(明治29)年、念願の「豊田式汽力織機」を完成させました。
木製人力織機
 この間の織布に関する歴史的な過程は記念館内に詳しく展示されており、熟練の解説員が分かりやすく説明してくれます。
歴史

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挫折、渡米、そして栄生の地へ…

 1904(明治38)年、鐘ケ淵紡績の要請で外国製品と佐吉の発明した織機の性能比較試験が行われましたが、英国製の織機に破れた佐吉は、「発明品は自ら製作に従事して十分に試験を重ねなければ完成しない」との教訓を得ました。その後佐吉は次々と新たな発明を重ね、工場は繁忙を極めました。
 周囲の人々の勧めもあり、1906(明治39)年、豊田式織機株式会社が設立されましたが、世の中が不況になると、研究開発を優先させたい佐吉と経営陣が対立。ついに佐吉は会社を去らなければならなくなり、有形無形の資産とともに活動の基盤を失ってしまいました。

 1910(明治43)年、失意のうちに移住まで視野に入れて渡米した佐吉は、アメリカで多くの織布工場を見学します。その結果、アメリカの機械は欠点も多く、決して佐吉の機械は引けを取らないという事を知り、佐吉は自信を取り戻しました。

 そして佐吉は、既にアメリカで名声を博していた世界的化学者・高峰譲吉博士を訪ねました。高峰博士から、「発明家たるものは、その発明が実用化されて社会的に有用な成果が得られるまでは決して発明品から離れてはならない、それが発明家の責任である」と大いに激励された佐吉は、「世界一の織機を実現してみせる」との決意を胸に、帰国します。

 もとより佐吉は、「発明品は自ら製作に従事して十分に試験を重ねなければ完成しない」という信念を持っていましたから、博士の激励により、営業的試験の重要性を再認識させられたということなのでしょう。その年、佐吉は44歳になっていました。

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世界を驚かせた「G型自動織機」から、世界のトヨタへ

 帰国後、佐吉は慣れない金策に奔走し、1911(明治44)年、現在の名古屋市西区の栄生の地(産業技術記念館の現在地)に3,000坪の土地を取得。ここに理想とする工場の礎を築きました。1924(大正13)年、「無停止杼換(ひかえ)式豊田自動織機(G型)」を完成させ、世界を驚かせました。1929(昭和4)年、当時の代表的繊維機械メーカーであったイギリスのプラット社が特許の譲渡を申し入れ、佐吉の長男・喜一郎が渡英して契約(豊田・プラット協定)を締結しました。
 世界的なメーカーが工業後進国側から特許権を買い求めた事実は、イギリス、アメリカをはじめとした各国から注目を集めました。長年の佐吉の夢が一つ叶ったわけですが、佐吉は更なる夢を追い求めていました。
G型自動織機

 『わしは織機で国のために尽くした。おまえは自動車をつくって国のために尽くせ』

 夢を長男の喜一郎に託した佐吉は、1930(昭和5)年、63歳で静かに生涯を閉じました。喜一郎は1933(昭和8)年、豊田自動織機製作所内に自動車部を設置。3年後にトヨタ初の乗用車「トヨダAA型乗用車」を誕生させました(写真は、トヨダAA型乗用車の試作車であるA1型試作車の模型)。
 1937(昭和12)年8月27日、豊田紡織株式会社本社(現・産業技術記念館)においてトヨタ自動車工業株式会社の設立総会が開催され、やがてトヨタグループ各社の成長に繋がって行く事になるのです。


(取材:平成23年10月14日/文責:事務局)