ウィリアム・ジョン・オルト

 1840(天保11)年〜1905(明治38)年。イングランド出身。
 開国とともに、いち早く長崎に渡り(英国領事館の記録には「1859年10月27日来崎」とあるそうです)、オルト商会を設立。長崎の大浦慶と提携し、九州一円から茶を買い求め、輸出業を行なった。
 製茶業で巨額の利益を得たオルトが、1865(慶応元)年に建てたオルト邸は本格的洋風建築。これを建築したのは大浦天主堂も手掛けた小山秀之進。(高峰譲吉が加賀藩から派遣されて、長崎留学を始めた年です。)

 (オルトが製茶・販売の事業で手を結んだ大浦慶は、長崎屈指の油問屋に生まれましたが16歳の時に大火事に見舞われて家が傾いてしまいました。しかし、25歳の時に茶の貿易をはじめ見事に家を再興させました。彼女は長崎三大女傑の一人として知られています。) (「グラバー園」サイトより)

 高峰譲吉はこのオルト邸にもホームステイしていたようだが、オルトは高峰少年を可愛がり、旅行する時も譲吉を連れて行ったと言われている。(「旅する長崎学」サイトより)

 もう一つのオルトのエピソードは、『岩崎弥太郎日記』に記されていること。
 「いろは丸事件」の賠償問題について、土佐藩参政・後藤象二郎と紀州藩勘定奉行・茂田一次郎のトップ会談が行なわれた後、弥太郎が、後藤象二郎、龍馬ら数名とオルト邸を訪れ、イギリス提督と会って盃を交わしたということです。(「長崎市観光・宿泊ガイド」サイトより)
(文責:事務局)
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