Caroline (2)

 キャロラインは、1887(明治20)年に21歳で、高峰譲吉の妻として、生まれて初めての異国、日本という国にやって来た。新居は東京人造肥料会社の近くの本所で、決して立派な家ではなかったという。
 翌年、彼女は長男・襄吉を、その翌年には次男・エーベン・孝を出産しているが、言葉も習慣も分らない明治という時代の日本でのこと、さぞ苦労が多かったであろうと思われる。譲吉は夜遅くまで仕事に励み、キャロラインはそれでもひたすら夫を助けていたと、益田孝が書き残している。
 日本に来て3年目の1890(明治23)年、一家は譲吉の醸造技術を認めたウイスキー・トラスト社からの招聘で、アメリカへ移住する。その時高峰博士が連れて行ったのが、丹波の杜氏技術を携えた藤木幸助であった。
 その後譲吉は、ヒッチ家のバックアップもあって、苦労の末成功を収めた(タカジアスターゼ、アドレナリンなど)。キャロラインは母国アメリカでも、貧しい時は内職までして譲吉を支えている。
 成功した後も、高峰博士は日本のため、日米の親善のために、「無冠の大使」として、私財を投じて働いたが、その陰にキャロラインの助力があったことは言うまでもない。

 譲吉の死の3年後、1925(大正14)年に、キャロラインは次男エーベンの友人であったアリゾナの牧場主と再婚している。このことに関して、キャロラインを批判する向きもあるようだが、譲吉の妻として夫を助けて過ごした35年間の実績は、否定できるものではないのである。
 おそらくは夫の死後、一人のアメリカの婦人に立ち戻り、異国の文化習慣から解放されて遅い青春を謳歌したのではないだろうか。キャロラインは1954(昭和29)年、87歳の長命を全うしているが、かつての夫・譲吉と、二人の息子が眠るウッドーローンの墓地で、今は共に眠っている。 (文責:事務局)
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