大鳥圭介 (1)

 1833(天保4)年、播磨国赤穂郡(現在の兵庫県赤穂郡)の医師の家に生まれる。
 1852(嘉永5)年、蘭学修行の為、緒方洪庵の適塾で蘭学と西洋医学を学ぶ。その後江戸へ出て、坪井塾の塾頭となる。勝海舟の知遇を得たとも言われる。
 1857(安政4)年、縄武館(江川塾)に兵学教授として招かれる。同時に中浜万次郎から英語を学んだとされる。その後徳島藩を経て1859(安政6)年、蕃書調所に出仕。「砲科新編」を翻訳出版。日本で初めての合金製金属活版を作り、大鳥活字と呼ばれた。
 1867(慶応3)年、正式に幕臣に取り立てられる。鳥羽・伏見の戦いの後、伝習隊を率いて江戸を脱走。1869(明治2)年、五稜郭で降伏したのち東京へ護送され、軍務局糺問所へ投獄された。

 1872(明治5)年、特赦により出獄後、新政府に出仕すると、欧米各国を開拓機械の視察と公債発行の交渉の為に歴訪。1874(明治7)年、工部省四等出仕となり、技術官僚として殖産興業政策に貢献した。1877(明治10)年、工部大学校が発足し、校長に任命される。以後、学習院校長、朝鮮公使、枢密院顧問官などを歴任した。
 大鳥が工部大学校校長に就任した時、高峰譲吉は同大学校に在学中であり、2年後の1879年、選ばれてイギリスに留学している。 (文責:事務局)
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