大鳥圭介 (2)

 ここで大鳥圭介について述べることは、推測によるところが多いということを、あらかじめお断りしておきます。と申しますのは、当事務局に証拠となる文献などがほとんど無いからです。
 結論から言いますと、三共商店(後の三共株式会社、現・第一三共)の創始者、塩原又策の妻は、大鳥圭介の孫だという話があるということです。

 では、高峰譲吉博士との繋がりはどうかと言うと、あると言わざるを得ません。まず、1873(明治6)年に山尾庸三が作った工学寮に、高峰譲吉が第一期生として入学しており、1877(明治10)年に(工学寮が)工部大学校として発足し、大鳥が校長に任命されていることが一つ。
 次に、2年後の1879(明治12)年、最初で最後の留学生11名がイギリスに派遣されていますが、その中に高峰譲吉の名前があることです(これは事実です)。つまり、大鳥が校長に就任してから2年間、高峰譲吉は工部大学校に在籍していたということになります。繋がりがない筈はないというのが、事務局の判断です。

 そして後に高峰譲吉が米国へ渡り、タカジアスターゼを発見、特許を取った頃から、高峰譲吉と塩原又策の固い絆が生まれる訳ですから、大鳥圭介と塩原又策が繋がっていても、おかしくないということになります(この部分は推測です)。
 (文責:事務局)
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