尾崎行雄

 1858(安政5)年、相模国津久井県又野村(現・神奈川県相模原市緑区又野)生まれ。
 日本の議会政治の黎明期から戦後に至るまで、衆議院議員を務めた政治家で、40歳の若さで文部大臣となった頃は、「政界の麒麟児」と呼ばれた。後に「憲政の神様」、「議会政治の父」とも呼ばれるに至る。

 1903(明治36)年から1912(明治45)年まで東京市長を努めたが、その最後の年に、ワシントンへのさくらの寄贈に関わる。これは当時、ヘレン・タフト大統領夫人に誓願を重ねていたエリザ・シドモア女史の話を聞いた高峰博士が助力を申し出、博士と親交のあった水野幸吉ニューヨーク総領事が個人からではなく日本の首都、東京市長の名で贈るべきであると進言したために実現したもの。
 実は水野総領事の迅速な動きと同時に、高平小五郎駐米大使の筋を通した確実な処理があって、この話は一民間人の範疇から国と国とのルートに乗ることになったという側面もあった。
 尾崎市長はポーツマス条約締結でアメリカに世話になったという気持から、正式に受けて予算建てを行なっている。贈った桜は害虫問題で失敗したが、直ぐに特別に栽培した桜を用意。1912年に再度贈った桜は、見事にその花をアメリカの地に咲かせている。
 第二次大戦後の1950(昭和25)年、尾崎は米議会に招かれ桜寄贈について感謝の決議を受けた。自らもポトマックの桜にずっと強い思い入れを持ち、「ポトマクの 桜をながめ 月に酔い 雪をめでつつ 我が身終へなむ」とまで詠んでいる。(元・駐米大使 藤崎一郎氏寄稿文サイトより)(文責:事務局)
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