グイド(ギドー)・フルベッキ

 1830(文政13)年 オランダ生まれ(オランダ語ではギドー)。1852(嘉永5)年、ニューヨークへ移住。コレラに罹ったが一命を取りとめ、献身を決意。
 1857(安政4)年S.W.ウィリアムズらによる日本宣教の呼びかけに応じ、米国オランダ改革派教会より最適任者として選ばれる。1859(安政6)年、ブラウン、シモンズとともに来日。
 長崎で済美館の英語教師をつとめ、1864(元治元)年校長となる。1866(慶応2)年、長崎に設けられた佐賀藩の致遠館で、大隈重信や副島種臣ら多くの俊英を育成した。この致遠館で、高峰譲吉も学んだとされている。
 フルベッキはオランダ語や英語だけでなく、ドイツ語、中国語にも通じ、工学、土木、機械、建築などにも造詣が深かったと言われており、蘭学から英学への転換期の指導者として、適任であった。(「佐賀県有田町」オフィシャルサイトより)
 1869(明治2)年上京して明治政府の顧問となり、開成学校の設立を助け、のち大学南校(東京大学の前身)の教頭となった。その後、太政官顧問を経て、東京一致神学校(明治学院の前身)や学習院の講師となる、1886(明治19)年明治学院の創設時に理事として関わり、明治学院神学部教授、明治学院理事会議長などを歴任した。
 フルベッキは渡米したことにより国籍を失っていた。アメリカに働きかけたが拒否され、日本への帰化ないし政府による保護を要請した。後に国内を自由に旅行・居住できる特許状が交付されている。
 1898(明治31)年、68歳で亡くなり、青山霊園に埋葬された。(「明治学院歴史資料館」サイトより) (文責:事務局)
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