山尾庸三

 1837(天保8)年、周防国吉敷郡二島村(山口市秋穂二島)長浜に生まれる。
 20歳の夏、江戸へ出て、桂小五郎(後の木戸孝允)が塾頭を務める斎藤弥九郎の道場「練兵館」を訪ね、後入塾。練兵館で武術を、他の塾で洋式の兵学を学んだ。
 1863(文久3)年、藩船癸亥(きがい)丸で、井上馨、伊藤博文、遠藤謹助らと共にイギリスへ密留学。英語、分析化学、土木工学等を学ぶ。だが、井上と伊藤は、長州藩による外国船砲撃事件のことを知り、すぐさま帰国。
 1866(慶応2)年、庸三は産業革命発祥の地グラスゴーへ移り、見習工として造船所で働きながら造船技術を学ぶ。仕事の合間にイギリスの聾唖学校や盲学校を見学し、日本へ帰ったら同じような学校を作りたいと考えた。
 1868(明治元)年帰国、長州藩海軍局の教授方助役となる。

 1870(明治3)年、明治新政府の伊藤博文の元で民部省および大蔵省の役人となる。次々と意見書を提出し、工業を興すために「工部省」設置を主張。
 1873(明治6)年、イギリスのスコットランドから、校長としてヘンリー・ダイヤーを招き、工部省の工学寮として工学校開設。この時に、高峰譲吉ら第一期生が入学している。
 高峰博士が後にイギリスへ留学し、グラスゴーで学んだのも、この山尾のアドバイスないしは経験談が影響しているものと推測することが出来る。

 その後、1880(明治13)年に訓盲院(盲学校)を開設するなど、教育に力を注いだ。1917(大正6)年、没。伊藤博文・井上馨・井上勝・遠藤謹助と共に、長州五傑と呼ばれる。(北山敏和氏「山尾庸三の生涯」サイトより)

 (文責:事務局)
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