工学寮(工部大学校)

 1870(明治3)年、山尾庸三等の建言によって太政官の下に工部省が新設され、1873(明治6)年、その工部省に設置された、日本初の工学の高等教育機関で、山尾庸三が工学寮の長官・工学頭に就任。
 学科は土木科、機械科、電気工学科、造家科(建築科)、鉱山科、化学応用科学科、冶金科があり、後に海軍省の要請で造船科が新設された。
 教師は主にヘンリー・ダイアーを筆頭とする英国から雇い入れられたお雇い外国人で、授業はすべて英語で進められた。
 教育課程は6年間で、最初の2年を予科という基礎過程、次の2年を専門過程、最後の2年を専門実習過程とし、実習の成果が卒業論文において評価された。
 学期は10月から始まり、7〜9月は休暇で、上級生はその休暇中に、工部省の事業や官営工場で実習を受けたという。

 1877(明治10)年1月官制の改革によって、工学寮は工部大学校と改められ、工作局の元に置かれた。大書記官大鳥圭介が局長に就任し、工部大学校初代校長となる。このころから大学校も軌道に乗ったようだが、財政難であったという。
 1879(明治12)年に最初の卒業生を送り出すが、23名中11名が選ばれて英国へ留学している。内訳は次の通りである。
 南清(土木学)、石橋絢彦(灯台建築学)、高山直質(機械学)、三好晋六郎(造船学)、荒川新一郎(紡績機械学)、辰野金吾(造家学)、志田林三郎(電信学)、近藤貴蔵(鉱山学)、小花冬吉(採鉱冶金学)、高峰譲吉(応用化学)、栗本廉(地質学)

 ※ 写真は、千代田区霞が関の文部科学省ビル前の霞が関コモンゲート歩道際に建つ工部大学校阯碑。ここは江戸時代虎門内延岡藩邸を中心とした地域で、工部大学校はこの辺りにあった。
 >> 千代田区観光協会 (文責:事務局)
× close