突然の肝臓病

 アルコール製造の試作をシカゴで行い、ペオリアに移り本格的にウイスキー用アルコールの製造に拘わるのだが、元来酵素の給源として麦芽を利用してきた麦芽製造業者たちの猛烈な反対にあい、折角出来たばかりの工場も放火と思しき火災に遭遇し灰燼に帰してしまった。

 悪い時には悪いことが続くもので、その途端に高峰博士は肝臓病で倒れ、緊急の手術が必要となり、キャロラインの機転で裏庭の先を走っている汽車を止めて、シカゴまで運び、ヘンロティン病院での手術もうまく行き、一命を取り止めた。

 余ほど嬉しかったのだろう。高峰博士は後に自分の遺体をこの病院の主治医に人体解剖に供して欲しいと遺書に書くほどであった。

(当研究会・山本理事長「日本酵素産業史―序文」より)(文責:事務局)
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